■柳沢信俊によって開基される

高蔵寺は、第五代将軍徳川綱吉の寵愛を受け、元禄時代には大老格として幕政を主導した柳沢吉保(やなぎさわよしやす)の祖父「柳沢信俊(やなぎさわのぶとし)」によって慶長年間(1596-1615年)に開基された。

1830年に昌平坂学問所が完成させた「新編武蔵風土記稿」によると、

天台宗、東叡山末、宝珠山地福院と号す中興開山賢者法印秀範は七世の僧にて、寛文六年九日化す。開基は松平甲斐守が先祖、柳沢兵部丞信俊なり。境内に墓所があり、本尊弥陀を安ず。柳沢兵部丞信俊墓 境内墓所にあり、碑銘に云々

とある。松平甲斐守とは信俊の孫、柳沢甲斐守吉保である。
吉保は信俊の次子安忠の子で、徳川五代将軍綱吉の信寵を受け、松平の称号を許され、美濃守・甲斐守に任ぜられ、甲府十五万千二百石の大名となった。子吉里も甲斐守であった。

■天海東叡山直末許可状

この文書は、寛永十七年(1640年)に天海が高蔵寺を東叡山の直末寺院に昇格することを許可したものである。天海は、上野に輪王寺門跡が設立されるまでは単独で許可状を発給しており、同様の文書が川口市の新光寺、東松山市青鳥の浄光寺などにもみられるが、この文書のように第一行目の上部に花押を自署しているものは珍しく、当時の天海が宗内では天皇や将軍に匹敵する権限を持っていたことがうかがえる。

■柳澤信俊の百回忌

柳澤吉保が、信俊の百回忌法要を執り行った。
その際に読み上げられた文書が、高蔵寺に保管されている。

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■香山と堯山

 

郡山藩二代の信鴻(香山)、三代の保光(堯山)は、特に文芸に優れており、高蔵寺の「宝珠山(写真左)」は香山の、「地福院(写真右)」は堯山の彫刻によるものである。

■柳沢家系図

吉保の跡を継いで甲府城主となった吉里は、安貞と名乗っていた元禄十四年(1701年)、父が松平姓と綱吉将軍の名の一字を許されたとき、共にその恩恵に俗し、以後松平伊勢守吉里(後甲斐守)と称した。甲府では父の遺訓を守って善政を布いたが、享保九年(1724年)本多氏断絶の後を受けて郡山に国替、以後信鴻、保光、保泰、保興、保申と男子の直系ばかりで明治廃藩まで続いた。いずれも大名としてその治績を挙げたといわれているが、特に三代保光までは絵画や文芸にすぐれた文化人ばかりであった。

出典:新編・埼玉県史/ふるさと大和郡山・歴史事典/柳澤氏(部室村柳澤氏)の研究/埼玉の仏教文化-写経と古文書-

宝珠山 高蔵寺
〒369-1214 埼玉県大里郡寄居町今市700

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